底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

2022-01-01から1年間の記事一覧

最近の自分を振り返ってこれからの自分を決めるだけの記事

本当に? おいおい、この頃ブログテキトーに書きすぎじゃないか。というか、なんか全部自分で書いているな。あれだけ色々な記事で、自分で書いた気がしない云々、頭に降りてきた言葉を出しているだけだ云々と言ってきたのに、最近すっかり言葉が降りなくなっ…

目先にある欲求と未来にある欲求

1 目先の欲求を満たす。そうすると後に何が残るのかと言えば何も残らない。時にその残らなさに人は少々の喪失感と虚無感を抱いたりするくらいである。目先の欲求はいつだって満たしたその瞬間が最も満足感が高く、そこからは何もかも下がっていく一方である…

できることは限られていないから困る

1 できることはどうしてこう限られているのだろうか。いや、正確に言うなら、自分の生活をほぼ何の問題もなく一人で送れているというのに、どうしてできることは限られているのだと一々ため息をつかなきゃならんのだ。自分一人を世話できるだけで十分である…

生きていることの価値をどこに見つける

価値はないけど価値が必要 生きていること自体には、本来如何なる価値もない。言うなればそれはただの自然現象であり、何の気なしに生まれ、そしてやがては消滅する存在のその一つの過程であるだけに過ぎない。決して何かの理由があってあるものではない。だ…

ブログを始めて二回目の誕生日

たんおめ自分 あり 自覚がないまま数字がだけが大きくなっていく 二十六歳になりました。今まで色々な記事で今年二十六歳という書き方をしてきましたが、ついにここで正々堂々と今年の二文字を外して二十六歳と名乗ることができるようになりました。二十五歳…

銭湯から考える人間の思う力と真実の関係

銭湯大好き 今日は銭湯に行ってきた。お湯をはるという作業は私にとって酷くめんどくさいので、ゆっくりお風呂に浸かりたい時にはいつも近くの銭湯に行くようにしている。銭湯に行くとなぜか頭がよく冴える。裸でいることが原因なのか、湯に浸かっていること…

甘えはいけないことなのか

甘えはいけないこと…? 「甘え」はなぜだかいつも「いけない」ことであるという前提で語られる。「〇〇は甘え」という言葉が攻撃的な意味を持っているのは、もはや言うまでもなく人々の共通認識であるようだ。つまりは、その言葉によって、相手がいけないこ…

教養と科学技術は似ていると思う

何十年前の話だよ 電話の発明によって人は遠いところにいる相手にも瞬時に言葉を伝えられるようになった。それまではきっと手紙を出すくらいしかなく、相手の返答を知るのにも多くの時間が必要だったに違いない。科学技術というのはつまり人々の不便を減らし…

消えた10日と自己認識を改めた話

10日はどこへ消えた ぬわぁぁぁあ。やらかした。ブログを始めて一年三ヶ月、休んだり遅れたりしたことはあっても一日飛ばしたことなど決して無かったのに、あれれおっかしいぞ〜10日の記事が見当たらない、公開されていないだけじゃなく下書きにもどこにもな…

価値は自分の見方にかかっている

1 物事の価値に公的な基準があったとしても、最終的には個人の思うところに委ねなければならないのが現実である。つまるところ、そのものにどれほどの価値が「実際に」あるのだとしても、見る人感じる人がそう見たり感じなかったのなら、少なくともその人に…

名前がつくと何が変わるのか

1 自分のある特性に名前がつくと安心する人がいる。名前がついたということによってその特性を自分から切り離せるためだろう。なんだ、「自分が」そうだったんじゃなくて、その特性が自分をそう「させていた」のかと思えるから、ホッと胸を撫で下ろせる。確…

お休みです

眠いのでお休みです。十月もマイペースに更新していこうと思います。よろしくお願い致します。

この世には役に立つ無駄がある

美味しかった 少しばかりの贅沢をする。いつもはお高いと思ってスルーしているお刺身のコーナーに立ち寄って、自分の食べたいのを一つだけ選んで買い物カゴにぶち込む。スーパーからルンルンで帰宅し、ルンルンでご飯をよそって、お刺身のパックを開け、わさ…

自分への拘りはない方がいい

1 拘りというのはなければないほどいいのだと思う。それは往々にして自分を苦しめる種にしかならないからだ。拘りの中でうまくやれている時はいい。その時にはむしろ一貫性がありスタイルが確立されていて素晴らしいなどと好評をうけるだろう。しかし人はそ…

いつでも真実を書き記す

真実を書く いつでも自分の思う真実を書く、心にもないことは書かない。それを守るだけで、書かれたものは少なくとも自分にとってだけでも掛け替えのないものになる。嘘をつく悪さというのはたぶんそんなところにある。自分ですら自分の本当が分からなくなる…

何もないを目指している

何もない 何もないという状況ほど至極なものはない。何も苦痛がなく、何も心配することなく、何にも恐怖しなくて済むのが素晴らしいのはもちろんのこと、何も欲しがらず、何も望まず、何もしたいことがないというのも最高なことではないだろうか。それはつま…

生きているとは何もしないことだ

1 人が生きているということには何が必然的に含まれるのか。食べたり、眠ったり、排泄したり、これは身体からの要請であるが、身体が今の形態であるのは偶然に過ぎない。家族や友人と接したり、働いたり、これもその時の社会的な価値観や理念や法によって今…

十月になりましたね雑談

十月になりましたね。雑談記事のこの日を無事迎えられたことに驚きを感じている。ブログに対する熱意が日々最底辺を更新し続けているからだ。私にとっての書くことの意義を改めて考えている。やりたいかやりたくないかで言えば本当にやりたくない。やめたい…

普遍的な悩みについて

二種類の悩み 悩みには二種類ある。個人的な悩みと普遍的な悩みである。違いは他人が自分と同様に悩んでいなくても、それを不思議に思うかどうかだ。明日プレゼンがある、うまくできるか分からない、向き合いたくない。これは個人的な悩みだ。自分の自信が無…

人生にもう遅いはない

1 何か新しいことを始めようという時、もう遅いなと思うことがある。今更始めたって、もういい年だし、散々違う道を歩んできたし、今から始めたところでたかが知れているだろうと、とにかく始めない理由を並べ立ててしまう。しかしもう遅いなんてことが本当…

お休みです

お休みです

努力についての緩い雑談記事

1 今日も相変わらず記事にできると思えるようなものが全然ない。最近はそういう流れなのかもしれない。こんな時私は自分の努力が足りていないと思う方だが、所詮は思うだけである。本当に努力しようという気持ちにはなれない。努力というのはつまり自分をよ…

人の数だけ人生があるのだ!!

命は同じでない 命と一口に言っても、それが「誰の」命であるのかはとても重要な観点である。知らない人なのか、親しい人なのか、自分のなのか。全てを同じに扱っているという人はいない。そこには必ず区別が存在している。ところが例えばまだまだ世の中に蔓…

キモいのはお互い様

自分は綺麗事をきちんと実践しているという人は今すぐブラウザバック 人間というのは綺麗な存在ではない。うーん主語がデカイな。綺麗じゃない人の方が多いくらいにしておこう。いやこれでも角が立つな。綺麗じゃない人もいるにしよう。ここでの綺麗とは綺麗…

思考についての緩い雑談記事

書くことがない(n回目) 困った。今日も書けると思えるものが全然ない。この頃はずっと頭がボーっとしているようだ。キーボードを叩いても叩いても、こんなの全然面白くないと思うような文章になってしまうので、今日も今日とて諦めて素直に何もないというこ…

自分に関する認識の第一決定権は自分にはない

自分に関する認識の第一決定権は自分にはない 本人に関する認識は全て本人に第一決定権がある、は個人の立場で言えば理想的だが、現実問題そうはいかない。例えば自分はただ手を拳の形にして勢いよく伸ばしただけで、たまたま目の前に人がいたから結果的にそ…

勘違いをできるだけ減らすには

勘違いは必ず起きる 勘違いというのは、人と人が関わる以上避けられないようなトラブルだ。何かを伝えることはそれだけ人にとって難しくミスが発生しやすい。送り手がわざと相手を騙すような言い方をしていなくとも、受け手が悪意的に捻じ曲げた解釈の仕方を…

表現は結果的な形式の一つ

こぼれ落ちるもの 人は誰しも常日頃言葉を使い自身に関する色々を表現している訳だが、言葉というのは自分が生まれる以前に既にこの世にあったのである。つまりはそれは使い古されたものであるから、世界に未だかつて存在したことのない自分を表現するのには…

抽象についての緩い雑談記事

書くことがなかった 考えに考えたが何も言葉が出てこず…。仕方ない雑談をしよう。ほぼ毎日書いていると決まって月に数日はこうなってしまうようだ。別に書きたいことなどないというスタンスで始めたのに、ネタが思い浮かばない日が月にたった数日なんて、奇…

興味あることとアウトプットの差について

差異が生まれるのはなぜ 私は人生論というものにはさらさら興味がない。生き方なんてどうでもいい。ただ自分の考えたいことを考えているのが楽しい、とにかく毎日それさえできればいいと思っている...はずなのだが、どうしてか、アウトプットになると人生論…