底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

思考雑記

いいものを見せるといい見せ方をする

いいものといい見せ方 いいものを見せるということと、いい見せ方をするということは全然違うはずだ。定義的には、いいものはどんな見せ方をしてもいいものであるし、どんなものをいい見せ方しても、それはいい見せ方であるだけで、元のもののよしあしとは全…

本物と偽物についての雑記

偽物の偽物たる理由 偽物はなぜ偽物と呼ばれるのか、それは偏に本物のようで本物ではないからであろう。注目すべきは「本物ではない」の方ではなく、「本物のようで」の方である。つまりは本物に似ていることが問題なのだ。偽物が偽物である最大の理由は、本…

約束を守ることは大事という当たり前

1 約束というものを人はとても重んじる。約束とは記憶に直結するものだからだ。記憶とは人のアイデンティティの根幹である。顔や背格好や性格や言葉遣いや振る舞いなんてものとは比べ物にならない遥か中心で自分のことを支えている。他のものと違って、記憶…

上手や下手の正体と上手以上についてのお話

超久しぶりに貼りました 鑑賞する側には作品に上手や下手などの優劣はつけられない。だって作品の優劣は作り手の理想が落とし込められているかで決まるから、と以前書いた。詳しくは下の記事参照。そういえば自分の過去記事をを貼り付けるの随分久しぶりだな…

優しさは見かけでは分からない

優しさは思い 相手を不快にさせないようにすることだけが優しさなのではない。時には自分の思いの丈を実直にぶつけたり、厳しい言葉を投げかけるのも優しさの一つである。行為の形式、つまりどんな行為になら優しさがあるのか、という問いの立て方では優しさ…

なぜ自分が死ぬと知っている

一体いつから自分は死ぬのだと錯覚していた 私はいつから自分は死ぬのだと思い始めたのだろう。思い出そうとしても全然思い出せない。とにかくいつの間にか気づいた時には、もう自分は絶対に死ぬのだと思っていて、そのために生き急ぐようになってしまってい…

人生から苦しみをなくすには

そうじゃないんだよ 人生から苦しみをなくすには、人生そのものをなくしてしまうのが最も手っ取り早い。けど、こんな答えはたぶん誰も求めていない。きっと「そうじゃないんだよ」と言いたくなるはず。でもやっぱりそれが最も手っ取り早く且つ最も効果的であ…

人は道具ではないが道具でしかない

道具であるけど道具であるだけ 人は道具だ。人は誰しも他人を利用することでしか生きてはいけない。ただその利用の幅が広いだけである。利用には見えないような利用の仕方があるだけである。どれだけ丁寧に扱っても、どれだけ大切にしていても、それは広義的…

人生を始められる人始められない人

1 生きているけど、まだ人生を始められていない人ってどのくらいいるんだろうか。分からないけど、少なくとも私はその一人だ。私の人生はまだ始まっていない、始められていない。何かを始めるにはスタートラインに立つ必要があるから。私はまだそのスタート…

ブログの役割とはなんだろうか

文章のそれぞれの形 文章には色々な形がある。日記や詩や小説や新聞や専門書やエッセイやSNSのつぶやきなどなど、種類は実に豊富である。それぞれにそれぞれの役割があり、果たしている意味がある。じゃあブログは?ブログは文章としてどんな意味を持ってい…

意味のあること意味のないこと

ウトウトしながら文章をお送りしております 意味のないことが好きだ。道の遠回りやお金の無駄遣い、ただただぼーっと過ごしたり趣味に没頭している時間、そういう生きていく上では全く必要のない、自分のやりたいや自分の心地良さに全振りしたような事柄は、…

原因と理由は共存できる

原因と理由 自分が何かをしようとする時、なぜそれをしようとするのかという問を発すれば、そこには二通りの答え方が存在している。一つは外から答えること、つまりはしようとする「原因」である。例えばアルコール依存症の人がなぜ目の前のお酒を飲もうとす…

事実はどうにもならない

1 事実というのは目を背ければ、ひたむきに隠し続ければ、そのうち勝手に消えてなくなるようなものではない。そうだと認めなければ、そうだと見なさなければ、いずれ勝手に形が変わっていくようなものでもない。事実はいつも厳然と存在している。目を背けよ…

信念ってなんだろう

信念って何 信念とはなんだろうかと考えている。少なくとも私は自分の中にそういったものの存在を確認できない。人に聞かれてすぐにこれが私の信念だとはっきり言えるようなことは全く思いつかない。きっと「うーん別にないなあ」としか答えられない。でもこ…

他の人の作品を評価することの意味

1 どうして人は誰か他の人の作品に対して「上手」や「下手」などと評価できるのだろうか。上手や下手というのはつまり作品自体に対する優劣の評価だが、もし鑑賞する側にとって作品に優劣があるとすれば、それはすごく不思議な話ではないだろうか。だって、…

ただできないと認めることから現実は始まる

言い訳ですね この頃ネタがないネタがないと散々書いてきたけれど、ついに気づきました。そうだよ。このブログにネタとかそもそもないやん。逆に今までいつネタがある時があったよ。いつだってパソコンの画面にへばりついてからが勝負だったじゃないか。どの…

目先にある欲求と未来にある欲求

1 目先の欲求を満たす。そうすると後に何が残るのかと言えば何も残らない。時にその残らなさに人は少々の喪失感と虚無感を抱いたりするくらいである。目先の欲求はいつだって満たしたその瞬間が最も満足感が高く、そこからは何もかも下がっていく一方である…

生きていることの価値をどこに見つける

価値はないけど価値が必要 生きていること自体には、本来如何なる価値もない。言うなればそれはただの自然現象であり、何の気なしに生まれ、そしてやがては消滅する存在のその一つの過程であるだけに過ぎない。決して何かの理由があってあるものではない。だ…

銭湯から考える人間の思う力と真実の関係

銭湯大好き 今日は銭湯に行ってきた。お湯をはるという作業は私にとって酷くめんどくさいので、ゆっくりお風呂に浸かりたい時にはいつも近くの銭湯に行くようにしている。銭湯に行くとなぜか頭がよく冴える。裸でいることが原因なのか、湯に浸かっていること…

甘えはいけないことなのか

甘えはいけないこと…? 「甘え」はなぜだかいつも「いけない」ことであるという前提で語られる。「〇〇は甘え」という言葉が攻撃的な意味を持っているのは、もはや言うまでもなく人々の共通認識であるようだ。つまりは、その言葉によって、相手がいけないこ…

教養と科学技術は似ていると思う

何十年前の話だよ 電話の発明によって人は遠いところにいる相手にも瞬時に言葉を伝えられるようになった。それまではきっと手紙を出すくらいしかなく、相手の返答を知るのにも多くの時間が必要だったに違いない。科学技術というのはつまり人々の不便を減らし…

価値は自分の見方にかかっている

1 物事の価値に公的な基準があったとしても、最終的には個人の思うところに委ねなければならないのが現実である。つまるところ、そのものにどれほどの価値が「実際に」あるのだとしても、見る人感じる人がそう見たり感じなかったのなら、少なくともその人に…

名前がつくと何が変わるのか

1 自分のある特性に名前がつくと安心する人がいる。名前がついたということによってその特性を自分から切り離せるためだろう。なんだ、「自分が」そうだったんじゃなくて、その特性が自分をそう「させていた」のかと思えるから、ホッと胸を撫で下ろせる。確…

この世には役に立つ無駄がある

美味しかった 少しばかりの贅沢をする。いつもはお高いと思ってスルーしているお刺身のコーナーに立ち寄って、自分の食べたいのを一つだけ選んで買い物カゴにぶち込む。スーパーからルンルンで帰宅し、ルンルンでご飯をよそって、お刺身のパックを開け、わさ…

いつでも真実を書き記す

真実を書く いつでも自分の思う真実を書く、心にもないことは書かない。それを守るだけで、書かれたものは少なくとも自分にとってだけでも掛け替えのないものになる。嘘をつく悪さというのはたぶんそんなところにある。自分ですら自分の本当が分からなくなる…

何もないを目指している

何もない 何もないという状況ほど至極なものはない。何も苦痛がなく、何も心配することなく、何にも恐怖しなくて済むのが素晴らしいのはもちろんのこと、何も欲しがらず、何も望まず、何もしたいことがないというのも最高なことではないだろうか。それはつま…

生きているとは何もしないことだ

1 人が生きているということには何が必然的に含まれるのか。食べたり、眠ったり、排泄したり、これは身体からの要請であるが、身体が今の形態であるのは偶然に過ぎない。家族や友人と接したり、働いたり、これもその時の社会的な価値観や理念や法によって今…

普遍的な悩みについて

二種類の悩み 悩みには二種類ある。個人的な悩みと普遍的な悩みである。違いは他人が自分と同様に悩んでいなくても、それを不思議に思うかどうかだ。明日プレゼンがある、うまくできるか分からない、向き合いたくない。これは個人的な悩みだ。自分の自信が無…

人生にもう遅いはない

1 何か新しいことを始めようという時、もう遅いなと思うことがある。今更始めたって、もういい年だし、散々違う道を歩んできたし、今から始めたところでたかが知れているだろうと、とにかく始めない理由を並べ立ててしまう。しかしもう遅いなんてことが本当…

人の数だけ人生があるのだ!!

命は同じでない 命と一口に言っても、それが「誰の」命であるのかはとても重要な観点である。知らない人なのか、親しい人なのか、自分のなのか。全てを同じに扱っているという人はいない。そこには必ず区別が存在している。ところが例えばまだまだ世の中に蔓…