底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

私の価値観

環境の改善はほどほどに

概ね満足でおけ 世界は私のためにあるのではないのだから、自分にとって百点満点と言える環境はきっとこの世界にはない。大まかな合う合わないはあるにしても、全てが理想通りで完璧というのは無理がある。だから環境を改善する一方で、自分の方が環境に合わ…

性格って本当にあるの?

性格って本当にあるの? 性格というものをあまり信じていない。ある人にある特有の性質が備わっていて、しかもそれが一生涯変わらないなんてこと実際にはあるのかもしれないけど、でもたまたまだろうと思う。意識的に変えるのが難しいとしても、変わることは…

だいたい同じで十分

僅かな差異が気になってしまう 言葉がありすぎたせいで人と人がすれ違う。そういう現象を時たま目にすることがある。好きか嫌いかという大きな括りで見れば同じ好きであることに変わりはないのに「どう好きか」や「どれくらい好きか」などが食い違って軋轢が…

当たり前になって欲しいから当たり前として生きていく

感謝と同情 当たり前なことに感謝しなさい。そう教えられてきた人は多いのではないかと思う。食べ物しかり、自然の環境しかり、人との関りしかり、とにかく当たり前に見えることは実は全て当たり前ではないから感謝の心を持ちましょう、ということなのだろう…

同じことは何度書いてもいい

同じことは何度書いてもいい 半分は本当に思っていて、もう半分は免罪符として、同じことは何度書いてもいいと私は思う。むしろブログとはある意味で同じものを書き続ける営みそのものであり、同じである中の小さな違いを楽しんでもらうことがそれぞれの記事…

意見の内容にだけ注目したい

内容が大事 何かを正しいと主張することと、何かを正しいと主張する故に自分は正しい、ということとは別である。別であるはずだ。別ですよね...?別であるはずなのに、前者を見たことがほとんどないので、なんだか後者しかいないような気がしてくる。自分も…

関係の理想は結果的にしか訪れない

関係において大切なこと 誰かと関係すること。私には乏しい経験であるが、その少ない経験の中でも一つ学びがある。それは関係によって得られるメリットを絶対に諦めてはいけないということである。ここでのメリットはとても広い意味だ。いい感じとか心地いい…

見殺しという言葉があまりしっくり来ないという話

殺しのインパクトが大きすぎる 「見殺し」という言葉がある。その場に居合わせたが運の尽きと言わんばかりの言葉である。見て見ぬふりをするだけで見「殺し」。うーん言い過ぎなのでは?と思わずにはいられない。だって好きで見たのではないのですよ、たまた…

正しさは語るものではなく示すものと語る記事

正しいことはただ語っても意味がない 「~すべきだ」という語尾は大抵虚しい。それが遠くに無人称に向かって語られている場合は尚虚しい。なぜなら、すべきだと既に思っている人はもうその通りに行動しているはずであり、すべきだと思わない人にはいくらすべ…

自分が他人をそう思う時、他人も自分をそう思っている(かもしれない)

双方性の法則 自分が他人を嫌いだな〜と思う時、たぶん自分は既に他人に嫌われている。自分が他人を馬鹿だな〜と思う時、たぶん自分も既に他人に同じことを思われている。誰かにマイナスのイメージを抱く時、実際はどうあれ、この双方性の法則はだいたい働い…

偏見についての私の偏見

偏見は根深い アニメを見ていた。そこに派手なスーツを着て金のネックレスをつけた七三分けの細い目をした猫背の男が二人のボディーガードを連れて登場した。私はあぁこの人は悪役なんだとなと思った。結果としてそれは当たっていた。制作側もたぶん登場時点…

嫌いを嫌悪に変えてはいけない

嫌いと嫌悪 「嫌い」と「嫌悪」をあえて分けて使ってみよう。嫌いは「不快を感じる」くらいの意味で、嫌悪を「消えてほしい」のような意味で使う時、果たして自分にはどのくらい嫌いな人がいて、どのくらい嫌悪している人がいるのだろう。不快を感じるからと…

精神のない赤ん坊に戻りたい

精神のない赤ん坊に戻りたい 何の根拠もないような話であるけれど、私は精神というのは若ければ若いほど良いと考えている。なんなら精神なんか本当はないほうが良い。良いというのはその方が自然だという意味である。つまりこの世で一番自然なのは生まれたば…

正常はどのように決められるべきか

正常を決めるのは? ある人が正常であるかどうかの基準はいかにして判断されるべきか。一般には「社会生活を送ることに支障があるかどうか」だろうか。他人と問題なくコミュニケーションできるか、人と同等の働きが行えるか、多くの人と同じような善悪観を持っ…

十代の頃の自分は最強だった

まだ十代気分 うわぁ後十五分で年を越してしまう。きっとこの記事を書いている間に越してしまうと思うので、とりあえずあけましておめでとうございます。もう二〇二二年か。全然実感が湧かないな。未だに私は二〇十五年くらいを生きている気がしてしまう。た…

相反する価値観は相容れない

価値観は相容れない ある価値観を持つということは、その価値観と矛盾する或いは相反する価値観の人とは絶対に相容れないことを意味する。それがあるものを価値とすることの定義である。もし矛盾する或いは相反する価値観をも受け入れられるなら、それはそも…

世界一になりたい

世界一になりたい 自分のやりたくないことではない前提で、何かの世界一になれるとしたら、「ふーん、まぁやってもいいよ」くらいの気持ちにならないだろうか。だって世界一ですよ。世界一。そんな機会凡人にはそうそうないし、死ぬ時に世界一になったんだって…

欲望と現実を繋ぐための自惚れ

モチベとしての自惚れ あくまで心構えというかスタンスの話として、私はブログを書くとき、自分の書く記事が一番面白いという気持ちで書いている。来る日も来る日もこうしてブログを更新し続けられているのはその思いに支えられている部分も大きい。こんな面…

目標と手段のベストバランス

手段大事 目標に対しての手段、私はそれにひどく拘る。目標を叶えられるならなんでもいいという訳にはいかない。私の人生においての最重要事項は死ぬときに後悔しないことなので、少なくとも道半ばで倒れ目標を叶えられずに人生の幕を閉じることになっても悔…

何も頼らないという形の信頼

信じると信頼は全く異なる 他人を信じられないが、信頼はできる。信じると信頼するは私にとって全く異なることである。信じるは自分が主語であるのに対して、信頼は相手が主語である。信じるのは自分で、信じて頼るのは相手である。私は絶えず人のことを疑っ…

大きい自分と小さい自分の話

二つの自分 自分を二つに分けてみる。大きい自分と小さい自分である。ここでの大きさというのは人としての器とか、そういうものだ。大きい自分は常に理想的で優しく余裕があり、未来に対して果てしない希望を抱いている。およそ存在する全てのものを愛し慈し…

マイナス感情が面白いという話

プラス感情はそれ以上何も生まない プラスの感情とマイナスの感情でいえば、私ははるかにマイナスの感情を好む。なぜならプラスは既にプラスである為に何も生み出さないからである。なんというか面白みがないのだ。嬉しさや幸福は簡単に人を満足させる。それ…

ブログと写真が好きな理由

私の趣味 私のプロフィールの趣味欄には書く・読む・歩く・考えるとあるが、それに加えて私にはもう一つ趣味がある。それは写真を撮ることである。今までこのブログの各記事の最後に載せてきた写真は全部自分で撮影したものだ。歩くついでに撮っているみたい…

人それぞれでない価値観ってそもそもあるの?

なんでそんな当たり前なことを? 「価値観は人それぞれ」この言葉を耳にすると私はクスっときてしまう。なぜならそんなのは当たり前すぎるほどに当たり前だからである。わざわざ人に向かって主張する皮肉さがなんとも可笑しい。私にとってそれは例えば「ホット…

素直に百記事達成したなんて喜べるわけはない

百記事 うへーなんと前回の記事でついに百記事を達成してしまったらしい。してしまったというのはここまで来るとは思っていなかったし、素直に「やったー!」と喜べる程に充実したブログ記事など書いてきていない自覚がはっきりあるからである。数だけを眺める…

居場所がないことに拘るのが私の原点(たぶん)

眠い中書いたので、いつも以上に駄文乱文であることをお許しください。でも眠いおかげで余計なことを考える体力が残っていなかったので、色々削ぎ落とされて私の原点を書けている気がする。 実際に居場所があるかないかとは関係なく、居場所がないと思い込む…

人に向ける二種類のすごい

二種類のすごい すごい人をすごいと思う時には二つのパターンがある。悔しさの伴うすごいと悔しさの伴わないすごいである。前者には自分もそうなりたいという思いがあり、後者はそもそも自分と比べてすらいない。個人的に人をすごいと思っていると言えるのは…

私的、底辺の存在意義

よくこんなに「いい」名前をつけたな 「底辺人間記録」改めて見ると、本当酷い(褒め言葉)名前をつけたものだなと思う。始める前それでも色々悩んだのだが、この候補が浮かんだ時、もうこれしかないなと直感した。やっぱり「底辺」は私にピッタリな単語である。 生…

ブログは記録であるから面白いのだ

一ヶ月半もかかった 私の文章は何かを言おうとしているようで、何も言っていない。文章のクオリティも低いし、自分でも読むのに一苦労する。昔(と言っても一か月前)の自分が書いたことはほとんど意味がわからないし、今と考えや思いが変わっているなと思う記…

感じると創作のよき循環を保つために

見せるor見るが楽しい 人に自分の創作物を見せるor人の創作物を見る。私はその二択が好きである。特にインターネット上においての見せると見るの楽しさは他のものには変えがたい。何がその二つを楽しくさせているかといえば、相手のリアクションを気にする必…